長時間の会議や度重なる会議が「ムダだ!」と思っている人は少なくないでしょう。にも関わらず,ムダな会議がなくならないのはなぜでしょうか。そこには,やや絶望的な理由がありました。
そもそも決める気がない
矛盾するようですが,「何かを決めるための会議」を頻繁に行う会社は,たいてい「決める気がない」のです。会議はその場で物事を決定するためのものではなく,疑問点について質問したり確認するために開かれるものです。「よし,今度の会議で決めよう!」といったように,会議の場で何かを決定しようとする人は,本気で決めようと思っていないのです。
もし本当に決定しようと思っているのであれば,必要な資料を関係者へ事前にメールで送っておき,メールのやりとりの中で細かな疑問点は解消しておきたいと考えるでしょう。最終的に関係者を集めて会議を開く段になれば,全員が必要な情報を共有していて,その上で確認しておきたいことや念のため聞いておきたいことをすり合わせるのです。「その場で決める」などという発想になること自体,決めようと本気で考えていない証拠と言えるでしょう。
集まることで安心感を得たい
かつて,日本の村社会には「寄合」というものがありました。定期的に村人が集い,何かを決めるというよりは,各々が思ったことを言い,何となく全員が満足して散会する,といった集会です。寄合には目的があるようで無く,物事が決まっていないようで何となく決まっているのが特徴です。実は,多くの会議の失敗例がこの「寄合」と同じようなものになっているのです。
集まって話し合うことで,何となく同僚や上司とのコンセンサスが取れるような気がする,といった安心感を得たいがために,会議を開いているケースは少なくありません。そもそも,「集まって話し合った」という事実が,何かしら安心感を得るための材料になったりするのです。
会議そのものが目的になっている
週1回,月1回といったように定期的に行われる「定例会議」によく見られる特徴として,会議を開くことそのものが目的化しているケースがあります。話し合う必要があるから会議を開くのではなくて,会議をする日と決まっているから会議を開くのです。こうした会議はたいていダレていて,前回までに話し合ったことの確認が長くなったり,資料の事前配布が徹底されていなかったりと,「また次もある」という妙な安心感に甘えがちになります。
もともと,会議は少なければ少ないほど好ましいと言えます。会議など全くやらなくても部署やプロジェクト内での意思疎通が図れてさえいれば,会議は不要だからです。反対に,「会議で同僚の〇〇が的外れな発言をしていた」とか,「会議中に〇〇が居眠りをしそうだった」といったことが社員間で笑い話になり始めたら,本来は業務を支えるはずの会議に振り回されてしまっている1つの目安と言えるでしょう。
仕事をした気分に浸れる
長時間にわたる会議や度重なる会議への出席は,心身ともに疲労するものです。重要なのは疲れることではなく成果があがることなのですが,「今日も疲れた。よく働いたなあ」というレベルで「仕事をした気分」になってしまう人が,実は案外多いのです。終了時間を明確にせずに会議を続けたり,会議中の進行役が曖昧になっているようなケースでは,こういった「会議=仕事だと思っている」人がいるものです。
本当に必要な会議なのか,会議の前にお互いに確認できるところまでしておくべきではないのか,といったことをしつこく言っていかないと,もともと会議が好きな人はとにかく会議を開きたがりますし,会議をダラダラと続けたがります。会議自体が仕事だと思っている人は,本当に一定数いるのです。
まとめ
会議は,ビジネスを進める上で重要な「場」になることも少なくありません。しかし,会議は決して「開きさえすればうまくいくもの」ではなく,「開くのは簡単だが成果をあげるのは難しい」ものです。事前準備を怠らず,かといって事前準備そのものを仕事にしてしまわず,何を目的とした会議なのかを明確にしてのぞみたいものです。